イギリスで親戚の訃報を聞く
タイトルの通り。日本時間の夜中にやたら父からのLINEの不在着信があると思ったら叔母が老衰で亡くなったとの訃報でした。
渡英直前、一時期危篤状態となったもののなんとか持ち堪え、そこから1年弱生きた叔母。近所だったからよく家に遊びに来ていて、幼い時から可愛がってくれた叔母でした。
具合が悪くなった時は既にコロナ禍だったから病院に会いに行くことすらできませんでした。最後会ったのは4、5年前になるのかな。
実は2年前、コロナパンデミックの直後、ちょうど志村けんがあの世に行った同じ日に最愛の祖母も亡くしました。コロナで会えない期間はあったものの、危篤の知らせ後、数日は面会が許された&パンデミック直前はひ孫の顔を見せに頻繁に見舞いに行ってたからとても悲しかったけど、当時やれることはやったという思いでした。
けれど、今回は、最後会いたかったなぁ…という思いも。
海外で暮らすってこういうことなんだな。訃報を聞いても正直実感がわかない…
そしてたとえどこに住んでいても
会いたい人には会えるときに多少無理してでも会う
「いつかまた」は無いかもしれない
ということを改めて感じました。
そして
「ありがとう」は相手が生きているとき、そして意識がちゃんとあるときに言わないと伝わらない。
今、目の前の相手と楽しい時間を過ごさないと次はもう無いかもしれない。そう思うと些細なことで不貞腐れていては勿体ない。
さよなら は突然来てしまう。
ということも再確認。
実家の両親、特に父親は高齢。ポリープができて来月手術なんて話してるし何かと心配。
なんとか帰国まで、そして私が父の事業を引き継ぐまでなんとか健康でいてくれますように。(こっちでもやれること、ちゃんとやらないとな)